松野官房長官「(関東大震災での朝鮮人虐殺)事実関係を把握する記録は政府内に見当たらない」は本当?【ファクトチェック】

松野官房長官「(関東大震災での朝鮮人虐殺)事実関係を把握する記録は政府内に見当たらない」は本当?【ファクトチェック】

松野博一官房長官が記者会見で、関東大震災をめぐる朝鮮人虐殺について「政府内において事実関係を把握する記録は見当たらない」と述べましたが、ミスリードで不正確です。

政府は2009年に内閣総理大臣を会長とする内閣府の中央防災会議で報告書を出しており、事実関係をまとめた様々な資料とともに「朝鮮人を中心に犠牲者の1%から数%が殺害された」と明記しています。報告書が引用した一次資料には、朝鮮人らが犠牲となった殺傷事件が記録されており、国立公文書館が運営するアジア歴史資料センターなどで保管・公開されています。

検証対象

2023年8月30日、松野官房長官は記者会見で、関東大震災当時の朝鮮人虐殺について「政府内において事実関係を把握することのできる記録は見当たらない」と2回発言した。「令和5年8月30日(水)午前-内閣官房長官記者会見」で確認できる。

画像
2023年8月30日の記者会見より

問題の発言は動画の6:35ごろから。記者は関東大震災での朝鮮人の殺害について、以下のように質問をした。

「当時、被災地ではデマが広がり、多くの朝鮮人が軍・警察・自警団によって虐殺されたと伝えられています。政府として朝鮮人虐殺をどう受け止め、何を反省点としているのか。併せて、現在の日本社会における在日コリアンを含むマイノリティに対するヘイトスピーチやヘイトクライムをどう捉えているのか」

松野官房長官は、次のように答えている。

「政府として調査した限り、政府内において事実関係を把握することの出来る記録が見当たらないところであります。いずれにせよ、災害発生時において、国籍を問わず、すべての被災者の安全、安心の確保に努めることは、政府として極めて重要であると認識しています」

8:10頃から、記者が重ねて「朝鮮人虐殺をめぐって、事実そのものを否定する歴史修正主義的な言説が出回っているが、政府として、今おっしゃった以上に事実関係を調査したり、実態を明らかにする考えはあるのか?」と質問をした。

松野官房長官は次のように答えて、改めて「記録が見当たらない」と強調している。

「先ほども申し上げましたとおり、政府として調査した限り、政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらないところであります」

この発言は、報道各社も報じた(読売新聞時事通信など)。

日本ファクトチェックセンター(JFC)は、関東大震災での朝鮮人虐殺をめぐるデマについて、2023年8月22日にまとめ記事を配信している。改めて松野官房長官の「政府内に事実関係を把握する記録が見当たらない」という発言について検証をした。

検証過程

内閣府は、2009年に関東大震災の詳細を記した「災害教訓の継承に関する専門調査会 報告書」を公表している。内閣府ウェブサイトによると、専門調査会を設けた中央防災会議は「内閣の重要政策に関する会議の一つとして、内閣総理大臣をはじめとする全閣僚、指定公共機関の代表者及び学識経験者により構成されており、防災基本計画の作成や、防災に関する重要事項の審議等を行っています」という位置づけだ。

報告書にまとめられた殺傷の記録

4章「混乱による被害の拡大」2節「殺傷事件の発生」にこう記している。

官憲、被災者や周辺住民による殺傷行為が多数発生した。武器を持った多数者が非武装の少数者に暴行を加えたあげくに殺害するという虐殺という表現が妥当する例が多かった。殺傷の対象となったのは、朝鮮人が最も多かったが、中国人、内地人も少なからず被害にあった。加害者の形態は官憲によるものから官憲が保護している被害者を官憲の抵抗を排除して民間人が殺害したものまで多様である。(中略) 殺傷事件による犠牲者の正確な数は掴めないが、震災による死者数の1〜数パーセントにあたり、人的損失の原因として軽視できない。

犠牲者の正確な数を掴むのは困難だが、報告書では「官庁記録による殺傷事件被害死者数」と題した表が示されている。

画像

報告書には、公的機関が残した記録が多数掲載されている。当時の警視庁が編集した「大正大震火災誌」、関東戒厳司令部が作成した「関東戒厳司令部詳報」の「震災警備ノ為兵器ヲ使用セル一覧表」(兵器使用事件調査一覧表)といった警察や軍などの資料だ。

例えば、兵器使用事件調査一覧表には「軍によって11件53名の朝鮮人が殺害された」と記録されている。警察関係者による朝鮮人殺傷についても、次のように書かれている。

「3日午後に野戦重砲兵第一連隊の兵卒3名が洲崎警察署の要請で巡査5名とともに朝鮮人約30名を移送中、永代橋付近で彼らが逃亡した。隅田川に飛び込んだ17名を巡査の依頼で兵卒が射殺したが、この際飛び込まずに逃亡しようとした他の朝鮮人は多数の避難民 及び警官の為めに打殺せられたり」

殺傷事件についてまとめた司法省の資料も、アジア歴史資料センターで閲覧ができる。「犯罪事実個別的調査票」には、殺傷事件の日時や場所、犯人氏名、被害者氏名、罪名、「杉棒又は割木にて乱打し殺害す」「猟銃を持って射殺す」などの犯罪事実が記されている。

画像

外務省には多数の中国人や朝鮮人の殺害について、省内で回覧した記録が残っている。「大島町事件其他支那人殺傷事件」という文書で、こちらもアジア歴史資料センターで閲覧ができる。

画像

このように、警察や司法、軍、外務省の記録があることを踏まえると、関東大震災をめぐる朝鮮人らの殺害に関して「政府内に事実関係を把握する記録が見当たらない」という説明は当てはまらない。

翌31日の記者会見で、松野官房長官は、内閣府専門調査会の報告書に朝鮮人の殺害が記載され、公開されていることについて再び質問を受け、以下のように答えた

「中央防災会議のもとに置かれた災害教訓の継承に関する専門調査会が、過去の災害教訓をまとめた報告書における記述を指すものに関することでございますけれども、従来から国会質問や質問主意書に対してお答えしている通り、当該記述は有識者が執筆したものであり、政府の見解を示したものではありません」

2009年4月21日に官邸4階で開かれた中央防災会議の議事録を見ると、この報告書は、麻生太郎総理大臣(当時)らが出席した会議で他の案件と共に報告されている。

防衛研究所が保管する電信文

松野官房長官は31日の会見で「電信文」の存在にも触れている。

「内務省警保局長から各地方長官宛に発出された『取り締まりに関する電信文』と承知をしておりますけれども、従前から、これも国会質問や主意書にお答えしてきている通り、その内容について政府内に事実関係を確認することのできる記録が見当たらないものと承知をしております」

内務省警保局長からの「取り締まりに関する電信文」とは、関東大震災において朝鮮人が爆弾を所持したり、放火をしたりしているから取り締まるように各地方に送られたものだ。それらの犯罪の事実はなかったにも関わらず、震災直後の朝鮮人に対する警戒心や憎悪を広げる一因となった。

この電信文は2023年6月15日の参議院法務委員会でも取り上げられ、防衛研究所戦史研究センター史料室にて保管していることが確認されている

内容について、福島みずほ議員が朝鮮人虐殺のきっかけになったのではないかと質問し、政府参考人の楠芳伸・警察庁長官官房長は「警察庁におきましては、調査した限り、御指摘のような事実関係を確認することのできる記録が見当たらない」と、松野官房長官と同じような答弁をしている

報告書を執筆した鈴木教授は

JFCは、専門調査会報告書第4章第2節「殺傷事件の発生」を執筆した鈴木淳教授(東京大学文学部日本史学研究室)に取材した。

「『虐殺』というのは外からの評価なので、治安機関による殺傷の報告や、裁判での判決などで『虐殺』という言葉は使われていないと思います。そこで『虐殺事件に関する資料を出せ』というと『ない』と答える余地はあります」

「資料から直接言えるのは『殺傷事件』の存在であり、報告書で事件の中に虐殺としか言いようのないものが多いと書いていますが、それは私の評価で、委員会の合意を得て報告書に載った見解です」

判定

事実関係を把握するための資料は存在し、それを元に中央防災会議が設けた専門調査会が「官憲、被災者や周辺住民による殺傷行為が多数発生」し、朝鮮人、中国人、日本人などの犠牲者は「震災による死者数の1~数%」との報告をまとめている。

「殺傷」に関する資料は間違いなくあったとしても、それが「虐殺」かどうかの評価はまた別で「虐殺」に関して「事実関係を確認することのできる記録が見当たらない」という返答はありうるかもしれない。

しかし、「記録が見当たらない」という発言は、殺傷に関する事実確認自体が不可能なほど記録がないという意味に受け取られる可能性が高く、不正確(ミスリード)と判定した。

検証:宮本聖二
編集:藤森かもめ、古田大輔

【更新】新たなファクトチェック

関東大震災をめぐる「朝鮮人が暴動を起こした」「虐殺はなかった」などの言説を検証 【ファクトチェックまとめ】
1923年の関東大震災では「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を入れた」などの噂が拡散し、軍隊や警察や自警団などが多数の朝鮮人らを殺害しました。現在も「虐殺はなかった」などの言説が繰り返し拡散します。関東大震災をめぐる主な誤情報を改めて検証しました。 ※過去資料に差別的な表現が出てきますが、そのままにしています。 ※新たな誤情報の検証を更新していきます(最終更新2023年9月11日)。 震災をめぐり、繰り返し拡散する誤情報 現在も、地震が起きるたびに誤情報 / 偽情報が拡散する。「#井戸に毒」などは、関東大震災での朝鮮人殺傷を想起させる悪質なデマだ。また、毎年9月1日に東京都墨田区の都立公園で開かれる朝鮮人犠牲者追悼式典では「6000人虐殺はなかった」などのプラカードを掲げる行為もある。 関東大震災をめぐっては、内閣府が2009年3月に詳細な報告書を公表した。総理大臣を会長に閣僚や学識経験者などで構成する中央防災会議による「災害教訓の継承に関する専門調査会 報告書」(以下、専門調査会報告書)」だ。過去の大災害の経験を継承する目的でまとめられた。 日本フ
「関東大震災、朝鮮人が毒を入れようとしたのはデマではなく事実」は誤り【ファクトチェック】
1923年9月1日に発生した関東大震災について「朝鮮人が毒を入れようとしたのはデマではなく事実」という言説が拡散しましたが、誤りです。警視庁が発行した『大正大震火災誌』などの震災後の複数の資料で、朝鮮人による暴動や略奪、投毒などの噂は誤りだったと確認されています。 ※引用した資料には差別的な表現や誤字・脱字と思われる記述がありますが、原文のまま掲載しています。 検証対象 「『関東大震災時に乗じて朝鮮人が井戸に毒を入れようとした』のは『流言』ではなく『事実』であったことを日本人は知らねばなりません」という文言とともに、朝鮮人の犯罪を報じたとする当時の新聞記事のリンクを付けたツイートが拡散した。このツイートは2023年9月8日現在、210万回以上の表示回数と3900件以上のリツイートを獲得している。 拡散したツイートには当初(8月31日時点)、コミュニティノートが付いていた。しかし、9月8日現在、コミュニティノートは見ることができない。 検証過程 関東大震災時に、朝鮮人による暴動や投毒などの犯罪があったのかについては、2023年8月22日、日本ファクトチ

検証手法や判定基準などに関する解説は、JFCサイトのファクトチェック指針をご参照ください。

「ファクトチェックが役に立った」という方は、シェアやいいねなどで拡散にご協力ください。誤った情報よりも、検証した情報が広がるには、みなさんの力が必要です。

X(Twitter)FacebookYouTubeInstagramなどのフォローもよろしくお願いします。またこちらのQRコード(またはこのリンク)からLINEでJFCをフォローし、真偽が気になる情報について質問すると、AIが関連性の高い過去のJFC記事をお届けします。詳しくはこちらの記事を

もっと見る

「(斎藤知事の)パワハラはなかった」と百条委の委員長が発言? 前後の文脈を無視した切り取り動画【ファクトチェック】

「(斎藤知事の)パワハラはなかった」と百条委の委員長が発言? 前後の文脈を無視した切り取り動画【ファクトチェック】

兵庫県知事選で再選した斎藤元彦知事をめぐって、百条委員会(調査特別委員会)の奥谷謙一委員長が「パワハラはなかった」と発言したという動画付きの言説が拡散しましたが、不正確です。拡散した動画は発言の一部を切り取ったもの。奥谷委員長は拡散した動画の発言後、「厳しい叱責を受けたという人はいたか?」と問われて「整理できていないが、『厳しい叱責を受けたことがある』と答えた人は結構おられたと思う」と説明。パワハラに当たるかどうか評価したいと答えています。 検証対象 2024年11月19日、「奥谷委員長が発言してます。パワハラはなかったと」という言説が拡散した。 添付された25秒間の動画では、奥谷委員長が記者から、この日の証人尋問に呼ばれた6人について「パワハラを受けたという人は何人いるのか」という質問を受け、「私の認識では明確に知事の方からパワハラを受けたという方はいらっしゃらなかった」と答えている。 2024年11月20日現在、この投稿は180件以上リポストされ、表示回数は32万回を超える。投稿について「これが正解」「まだ言うかね」というコメントがつく一方で、「そんな

By 日本ファクトチェックセンター(JFC)
アメリカでは帰化して三世代おかないと政治家になれない? 大統領や連邦議会議員に親の国籍は関係ない【ファクトチェック】

アメリカでは帰化して三世代おかないと政治家になれない? 大統領や連邦議会議員に親の国籍は関係ない【ファクトチェック】

「アメリカでは帰化して三代、間におかないと政治家になれない」という言説が拡散しましたが、誤りです。大統領や連邦議会上下院議員になるために、年齢や在住期間の規定はありますが、親の国籍は関係ありません。また、添付画像は日本に関する「帰化した国会議員」のリストですが、実際に帰化した人物はわずかで、ほとんどが誤ったものです。 検証対象 2024年11月3日、X(旧Twitter)で「米国では帰化してから3代間にないと選挙に出られない、つまり政治家になれない」という言説が拡散した。11月19日現在、230万以上の閲覧と1万件を超えるコメントがついている。 コメントには「日本も規制した方がいいですね」「日本も帰化3世までは立候補出ないようにする必要がある」などと同調する意見が続く一方で、「米国で、流石に三世代はないです。」という指摘もある。 検証過程 大統領と連邦議会上下院議員の資格要件を調べると、合衆国憲法に規定がある。 米国大統領の資格要件 合衆国憲法では、大統領は年齢35歳以上であること、生まれながらのアメリカ国民であること、最低14年間アメリカに居住

By 宮本聖二
潜在的な国民負担率は62.9%? 過去のデータで現在は改善【ファクトチェック】

潜在的な国民負担率は62.9%? 過去のデータで現在は改善【ファクトチェック】

「財務省『潜在的国民負担率、62.9%に達しちゃった』」という言説が拡散しましたが、ミスリードで不正確です。2020年にはそのレベルに達していますが、現在は改善傾向で50%台です。 検証対象 2024年11月12日、「財務省『潜在的国民負担率、62.9%に達しちゃった』」「1日8時間働いて5時間分は国に取られる。五公五民どころじゃねーな」という言説が拡散した。投稿にはまとめサイトのリンクが添付されている。 2024年11月12日現在、この投稿は1.1万件以上リポストされ、表示回数は185万回を超える。投稿について「財務省が全国民の敵」「働くの馬鹿みたい」というコメントが付く一方で「公式の報道機関やニュースサイトではありません」というコミュニティノートも付いている。 検証過程 国民負担率と潜在的国民負担率 国民負担率とは、国民の所得に占める税金や年金、社会保険料などの負担の割合だ。租税負担率と社会保障負担率を合計したものを国民負担率、これに財政赤字を加えたものを潜在的な国民負担率という(財務省)。 2023年投稿のまとめサイト記事を引用 検証対

By 日本ファクトチェックセンター(JFC)
トランプ大統領、就任が2ヵ月早まった? パーティーでの「提案」【ファクトチェック】

トランプ大統領、就任が2ヵ月早まった? パーティーでの「提案」【ファクトチェック】

アメリカのトランプ次期大統領が就任を2カ月早めるとする投稿が拡散しましたが、誤りです。自身の別荘でのパーティーでの発言で、実現する見通しはありません。 検証対象 2024年11月16日、アメリカのトランプ次期大統領が就任を2ヵ月早めるという投稿がXで拡散した。「もう就任しちゃうんですって」「トランプ大統領は、先日のマーアーラゴでのパーティーで、大統領就任を2カ月早めるという斬新な計画を発表🎉🎉🎉」と述べている。 投稿には、イギリスのMail Onlineの画像を日本語化したような画像がついており、「トランプ大統領が筋肉隆々のケネディ・ジュニアに5語の警告を発し、マール・ア・ラゴでのパーティーで任期を早めることを提案」という不自然な日本語がついている。 2024年11月18日現在、この投稿は500件以上リポストされ、表示回数は11万件を超える。投稿について「アメリカでの出来事は日本にも影響する…。」「前倒し✨だって、待てないんだもの。」というコメントが付いている。 検証過程 2024年の米大統領選挙で勝利したトランプ氏の大統領就任式は、2025年

By 日本ファクトチェックセンター(JFC)