処理水の放出で「日本の水産業は崩壊寸前」?【ファクトチェック】

処理水の放出で「日本の水産業は崩壊寸前」?【ファクトチェック】

福島第一原発からの処理水の海洋放出をめぐり、「日本の水産業は崩壊寸前」などと指摘する動画が中国語圏を中心に拡散しましたが、内容に多数の誤りがあります。日本の水揚げ量は長期的に減少傾向にありますが、処理水の放出や動画が指摘する中国の輸入停止措置が理由ではありません。

検証対象

2023年8月に福島第一原発で始まった処理水の海洋放出をめぐり、中国語圏で「日本の水産業は崩壊寸前」「売れなくなったことで水揚げ量が1000万トンから300万トン台に急減した」などと主張する動画が拡散している。

動画は「日本终于为他们的行为付出了惨重的代价(日本はついに大きな代償を払うことになった)」というタイトルで、男性が2分45秒にわたって福島第一原発事故の処理水(排汚水と表現している)の海洋放出で日本の水産業が大きく影響を受けているなどと語っている。

この動画は、「日本は大きな代償を払うことになった」という言葉で始まる。主な内容は以下の通りだ。

・放出を始めてから日本の水産業が崩壊寸前になっている
・1000万トンあった水産物の水揚げは300万トンに減った
・減少の理由は、売れなくなったから
・最大の輸出先で毎年50%以上を輸入していた中国が禁止したため
・日本の海産物、肉製品、化粧品から様々な放射性元素が基準値を超えて検出されている

動画を投稿した男性は中国のインフルエンサーで「峰哥说商业」というアカウントで動画を配信している。

今回の動画は5月8日に投稿され、5月20日現在で100万回以上再生されている。この動画に対して「核排水が私たちの沿岸にやってきて私たちの生命を脅かしている、罰を与えるべきだ」「日本製品や日本への旅行をボイコットしよう」など共感を寄せるコメントが多数ついている。

検証過程

この動画が指摘するように、処理水の海洋放出に対して、中国政府が日本の水産物の輸入停止措置を取っていることは事実だ。では、動画が指摘するような影響は出ているのか。

水揚げは急減したのか

農林水産省の統計によると、日本の水産物の年間水揚げ量は1984年の1282万トンがピーク。1977年に各国が排他的経済水域を設定する「200海里時代」を迎えて、遠洋漁業は制限を受けるようになった(水産庁・「遠洋漁業の発展と縮小」)。同時に、沿岸漁業や沖合漁業の主要な魚種の一つであるマイワシの漁獲が大きく減り、全体の水揚げ量は大きく減っていった。

1991年に1000万トンを割り、2022年には400万トンを切った。今回拡散した動画が言うように300万トン台に減ってはいるが、処理水の海洋放出開始以前に40年かけて起こった変化だ。

水産庁・「漁業・養殖業の生産量の推移」

中国の輸入停止措置の影響

2023年1年間の水産物輸出額は前年比微増だった。しかし、2024年1−3月期は767億円で2023年同期877億円から減った(農水省輸出・国際局「2024年1-3月期 農林水産物・食品の輸出額」)。

日本ファクトチェックセンター(JFC)は農水省輸出・国際局と水産庁に取材した。

「中国の水産物輸入の歴史は長く、額も大きいので影響はある。しかし、中国に輸出できない分、他国への輸出を増やすために国と業界が取り組んでおり、特に中国で人気があり輸出額の大きかったホタテは、アメリカやベトナム、タイへの輸出が大きく増えた。トータルではマイナスだがカバーするよう転換を進めている」(農水省輸出・国際局)

「中国の輸入停止と水産物の水揚げ量とは全く関係ない、水産物は自然相手なので需要とは関係なく水揚げの増減がある」(水産庁)

輸出の50%以上が中国?

また、「輸出の50%以上が中国向けだ」と動画は主張している。

しかし、処理水放出開始前年(2022年)の日本の水産物の輸出総額は3873億円。中国への輸出額は871億円で22.4%だ(農水省 輸出・国際局 「2022年1-12月期 農林水産物・食品の輸出額」)。

海産物や肉製品などから基準値を超える放射線?

拡散した動画では、「日本の海産物、肉製品、化粧品から様々な放射性元素が基準値を超えて検出されている」とも主張している。

厚生労働省は、自治体等と連携して食品に関する放射性物質の検査結果を収集して公表している。2024年5月14日公表のデータでは、1キログラムあたり100ベクレルの基準値を超えた国内の肉製品、水産物はなかった(食品中の放射性物質の検査結果について)。

水産庁では、自治体と連携して福島第一原発の処理水放出口から北北東へ4キロ、南南東へ5キロの2地点で魚を採取して調べているが、5月15日の最新データではトリチウムは検出限界値未満だった(水産庁・「水産物の放射性物質調査の結果について」)。

福島県では、県内の食品の放射性物質(セシウム134、137)を検査している。2024年2月21日から5月21日にかけて採取した肉類、魚介類からは基準値(1キログラムあたり100ベクレル)を超えたものはなかった(福島県農林水産物・加工食品モニタリング情報)。

判定

福島第一原発からの処理水放出によって「日本の水産業は崩壊寸前」という言説は誤り。動画には多数の誤りがあり。

あとがき

2023年8月に福島第一原発事故の海洋放出が始まってから、処理水に関連する中国語での誤・偽情報が拡散するようになりました。

処理水に関しては、「核汚染水」などの表現を使い、その影響で様々な事象が起きているという言説が幾度も拡散しています。そうした情報は日本語に翻訳されて日本国内でも数多く流れることがあります。注意が必要です。

今回は、台湾ファクトチェックセンター(TFC)の協力で検証しました。

2023年12月には処理水の放出の影響で魚が大量死したという言説が中国語と日本語で拡散、JFCでは検証記事を出しています。

処理水をめぐるファクトチェックまとめはこちら

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検証:宮本聖二
編集:古田大輔


判定基準などはJFCファクトチェック指針をご参照ください。

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