パンデミック条約は偽情報・誤情報を取り締まる?【ファクトチェック】(追記あり)

パンデミック条約は偽情報・誤情報を取り締まる?【ファクトチェック】(追記あり)

国際的な協力で感染症対策を強化する「パンデミック条約」をめぐり、「偽情報・誤情報を取り締まり、言論の自由を脅かす」という言説が拡散しましたが、不正確です。条約案は偽・誤情報への対策を含んでいますが、削除や投稿の禁止などではなく「リテラシーや信頼の強化」などを挙げています(追記あり)。

検証対象

世界保健機関(WHO)で議論が進められているパンデミック条約をめぐって、「偽情報、誤情報を取り締まる内容」「言論の自由が奪われようとしています」などの言説が拡散している(例1,2,3)。

日本ファクトチェックセンター(JFC)はパンデミック条約が「偽・誤情報を取り締まる」「言論の自由を奪う」内容かを検証した。

検証過程

パンデミック条約とは

WHO加盟国が議論している条約。感染症が発生した際の情報共有やワクチンの確保など国際的な連携の強化を目的としている。

2024年5月末のWHO年次総会での採択を目指して、2年以上かけて交渉してきたが、先進国と途上国の対立が大きく、交渉はまとまらなかった。WHOはこの条約について最長1年の議論の延長を決めた。

条約の偽・誤情報対策とは

パンデミック条約の条文案は外務省のサイトで確認できる(WHOパンデミック条約に関する提案の概要)。原文(2024年5月27日時点)はWHOサイトにある。

パンデミック条約の目的は第2条で「衡平性とここに定める原則を指針とし、パンデミックを予防・準備・対応すること」と定められ、第3条で国家主権、尊厳・人権・基本的自由の尊重などの原則を定めている。

偽・誤情報への対策については、第18条「コミュニケーション及び市民啓発」に関連する内容が書かれている。18条には3つの項目があり、以下のような内容だ。

  1. 科学、公衆衛生、パンデミックに関する一般のリテラシーを強化し、パンデミックの原因や関連する保健製品の有効性や安全性へのアクセスを強化する。
  2. パンデミックにおける公衆衛生や社会措置を妨げたり、強化したりする要因や公衆衛生当局などへの信頼に関する研究を実施する。
  3. 1と2を達成するためWHOは公衆啓発に関する技術支援を継続的に提供する。

つまり、偽情報・誤情報を取り締まる項目は条文に入っていない。

過去の条文案と比較すると

条文案はWHOでの各国の議論を経て変化する。1年前の2023年6月2日時点では、2024年5月版とは異なり、18条1項に「偽情報・誤情報の問題に取り組む」と書かれている。

ただし、この際も「偽情報・誤情報を取り締まる」などとは書かれておらず、対策として「公衆向けのコミュニケーションメッセージ戦略の策定」「公衆の信頼強化」「ソーシャルリスニング」「市民社会組織や報道機関との協議」などを挙げている。

今回のWHO年次総会で議論された2024年5月時点の条文案では、「偽情報・誤情報」という言葉が前文に1回出てくる。「誤情報、偽情報、誰かに汚名を着せる言動を防ぐため、信頼を築き、情報をタイムリーに共有することの重要性を認識する」という内容だ。いずれにしても「取り締まる」という内容ではない。

外務省は政府間交渉会議(INB)に関して、ウェブサイトで「これまでの交渉過程において、ワクチンの強制接種や言論統制など、国家主権の制限や基本的人権の侵害について懸念を生じさせるような内容に関する議論は行われておらず、条文案(英語)にも含まれていません」と説明している

判定

パンデミック条約は偽情報・誤情報対策を含んでいるが、それらは偽情報や誤情報の拡散を防ぐための信頼構築や情報発信の重要性を強調するという内容だ。具体的な方策として、リテラシーの強化や研究、WHOからの公衆啓発に関する技術的支援と書かれている。

これらを「取り締まり」につながるのではないかと懸念する見方もあるが、少なくとも条約案に、偽情報や誤情報を誰かが判定したり、取り締まったり、積極的な対応を推奨するという内容は書かれていない。よって、「パンデミック条約は偽情報・誤情報を取り締まる」という言説は不正確と判定する。

検証:古田大輔
編集:宮本聖二

追記

楊井氏からの訂正申し入れ

記事に対して、日本公共利益研究所主任研究員・弁護士の楊井人文氏より訂正の申し入れがありました。楊井氏は2023年10月30日版のパンデミック条約草案には偽情報や誤情報と「combat(闘う)」という文言があることから「加盟国が誤情報を取り締まると解釈されてもおかしくない文言」と主張しています。

パンデミック条約草案10月30日版の18条1項
The Parties shall strengthen science, public health and pandemic literacy in the population, as well as access to information on pandemics and their effects and drivers, and combat false, misleading, misinformation or disinformation, including through effective international collaboration and cooperation as referred to in Article 16 herein.

楊井氏が指摘する通り、10月30日版には上記のように「誤っていたり、誤解を招いたりする誤情報や偽情報と闘う」という文言があります。また、楊井氏はJFCの検証記事について「なぜかそれより古い6月2日版をもとに(Tackleを)取り締まると訳したと見られる。だが、その後の昨年10/30版はより強い表現に修正されている」と指摘しています。

楊井氏は「忍び寄る言論統制『パンデミック条約』」という記事を月刊Hanada2024年5月号に書いています。「(6月2日版を基に)『取り組む』と訳し『取り締まる』とは書かれていなかったとはあまりにもナイーブ過ぎるか10/30版の見落としであり、JFC記事を鵜呑みにすれば私の記事が不正確と受け取られる恐れもあり、訂正を求めます」との申し入れでした。

JFCが引用した草案6月2日版の内容

まず、JFCが引用した草案6月2日版にも、楊井氏が「誤情報を取り締まると解釈されてもおかしくない文言」だと指摘する「combat(闘う)」という言葉があります。

パンデミック条約草案6月2日版の18条1項
The Parties shall strengthen science, public health and pandemic literacy in the population, as well as access to information on pandemics and their effects and drivers, combat the infodemic, and tackle false, misleading, misinformation or disinformation, including through the promotion of international cooperation.

上記のように「インフォデミックと闘い、誤っていたり、誤解を招いたりする誤情報や偽情報の問題に取り組む」と記しています。その手段としては、10月30日版とほぼ同様に、リテラシー強化や情報へのアクセス強化、効果的な国際協力が挙げられています。

6月2日版の18条はこの1項を含めて10月30日版の約3倍の分量があり、10月版よりも具体的です。インフォデミックという言葉は、誤情報や偽情報を含む大量の情報の氾濫を意味しており、JFCとしては10月版よりも6月版を引用した方が過去の議論としてわかりやすいと判断しました。

草案は6月版、10月版だけでなく、WHOでの議論が進むに連れて、数ヶ月単位で変化しています。草案を多数取り上げることは記事の分量を増やし、読者の負担が大きくなるため、6月版の内容が簡略化されている10月版には言及しませんでした。「JFCの見落とし」ではありません。

パンデミック条約案に「偽情報を取り締まる」内容はあるか

「パンデミック条約は偽情報・誤情報を取り締まる」という言説はSNSや動画プラットフォームで広く拡散しています。「取り締まる」には「厳しく治める」「管理する」などの意味があり、JFCの検証で紹介しているように「言論の自由が奪われる」(須藤元気前参院議員)という主張もあります。

ではパンデミック条約に、偽情報・誤情報を管理したり、言論の自由を奪ったりする内容は含まれているのか。JFCが検証過程でも記した通り、WHO年次総会でも議論された条約案(2024年5月27日時点)では18条に以下のように書かれています。

1.科学、公衆衛生、パンデミックに関する一般のリテラシーを強化し、パンデミックの原因や関連する保健製品の有効性や安全性へのアクセスを強化する。

2.パンデミックにおける公衆衛生や社会措置を妨げたり、強化したりする要因や公衆衛生当局などへの信頼に関する研究を実施する。

3.1と2を達成するためWHOは公衆啓発に関する技術支援を継続的に提供する。

リテラシーの強化、研究の実施、その2つをWHOが支援する。この3つが2024年5月27日版の草案の内容です。これは「偽情報・誤情報を取り締まる」とは言えません。例えば、日本を含む世界中において、偽情報・誤情報対策としてのリテラシー教育の強化や研究は実施されており、それが「偽情報・誤情報の管理であり、言論の自由を奪う」という主張はほとんどないと言って良いでしょう。

楊井氏が引用した2023年10月30日版の18条についても、リテラシーや研究、「科学や証拠に基づいたアプローチを促進する」などという内容に止まっています。偽情報・誤情報を定義して、ソーシャルメディアから削除したり、投稿を禁じたりするような内容ではありません。

JFCが「不正確」と判定した理由

JFCはこれらの根拠を元に「パンデミック条約は偽情報・誤情報を取り締まる」という言説は「不正確:一部は正しいが、重要な部分に誤りや又は欠落がある。またはミスリード」と判定しました。これはJFCの判定基準の中で「誤り:誤りである。又は重要な要素が大きくかけている」につぐものです。

判定の説明にもあるように、パンデミック条約は偽情報・誤情報対策を含んでいます。それは事実ですが、対策は偽情報・誤情報の拡散を防ぐためのリテラシーや信頼構築や情報発信の重要性を強調する内容です。これは一般的な「取り締まる」「言論の自由を奪う」という言葉が意味するものとは異なります。

判定の説明では続けて「これらを『取り締まり』につながるのではないかと懸念する見方もある」と書きました。「正しい情報とは何かを教えるようなリテラシー教育が、逆に正しくない情報の定義につながるのでは」という懸念は考慮する必要性があります。

それを踏まえた上で、現実にはパンデミック条約には取り締まりを意味する文言はなく、また、これも検証過程で指摘していますが、3条では「国家主権、尊厳・人権・基本的自由の尊重」の原則を定めています。これらを鑑みれば、「パンデミック条約は偽情報・誤情報を取り締まる」「言論の自由を奪う」という言説は「誤り」とまでは言えなくとも「不正確」と判定すべきと判断しました。

以上がJFCの判定理由であり、記事に記していた通りです。よって、訂正の必要はないと判断しました。(2024年6月11日)

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