パリ五輪女子ボクシングをめぐる大量の誤情報 判明している事実は何か【ファクトチェックまとめ】

パリ五輪女子ボクシングをめぐる大量の誤情報 判明している事実は何か【ファクトチェックまとめ】

2024年パリ五輪女子ボクシングの選手に関して「元男性」「染色体が男性」などの誤情報や不確かな情報が大量に拡散しています。選手の出場資格について、議論になった経緯や判明している事実をまとめました。

議論のきっかけは

性別が議論になっているのは、パリ五輪女子ボクシングに出場しているアルジェリア代表のイマネ・ヘリフ選手と台湾代表の林郁婷(リンユーティン)選手。

8月1日、女子66キロ級2回戦でヘリフ選手と戦ったイタリア代表選手が開始46秒で棄権。圧倒的な力の差を見せたヘリフ選手が2023年3月の世界選手権で国際ボクシング協会(IBA)から女子選手としての資格を認められず、失格となっていたことに注目が集まった。

同時に女子57キロ級に出場し、ヘリフ選手と同様に世界選手権では失格だった林選手に関しても資格をめぐる議論が巻き起こった。

誤情報や不確かな情報の拡散

特にヘリフ選手をめぐっては衝撃的な勝利もあって、SNSでの議論が世界中で加熱。誤った情報や根拠のない情報、不確かな情報が大量に拡散した。

日本では8月1日、ひろゆき(西村博之)氏がX(旧Twitter)に「元男性が、女子オリンピックボクシングに参加。元男性の余裕勝ち。/金玉取った男性は、金玉取った男性です。女性ではないです。/トランスジェンダーは、トランスジェンダーであって、女性ではない。/女性の大会に元男性を参加させるのは、女性の機会を奪う」と投稿した。

この投稿は2675万回超の表示と8000件超のリポストを獲得(8月8日現在)、ヘリフ選手が男性から女性に性別変更したトランスジェンダーという誤解が広がった。

一方で、ヘリフ選手はトランスジェンダーではないという指摘も広がり、ひろゆき氏は8月2日、「『女性の大会に"染色体XYで女性器と金玉がある男性"が参加するのは女性の機会を奪う』に訂正します」と投稿した。

以下、8月9日時点で判明している事実と誤りをまとめた。

東京五輪にも出場して5位

IOCのサイトによると、ヘリフ選手は1999年生まれの25歳。東京五輪でも女子60キロ級に出場し、5位に入賞している。トランスジェンダーではなく、女子選手たちの中で圧倒的に強かったわけでもない。

リオ五輪を見てボクシングを始め、自宅のある小さな村から10キロ離れたジムまでバスで通った。費用はリサイクル用のスクラップ集めと母親がクスクスを売って賄ったという(IOC)。

世界選手権でのテスト詳細は「極秘」

ヘリフ選手と林選手は2023年の世界選手権でIBAから失格処分を受けた。

IBAはパリ五輪への2選手の参加について7月31日に声明を出し、世界選手権での失格に関して「規則に定められた女子大会への参加資格を満たしていなかった」と説明している

声明の中でIBAは「両選手はテストステロン検査を受けたのではなく、別途認められたテストを受けた」「この検査で両選手が必要な資格基準を満たしておらず、他の女性競技者よりも競争上の優位性があることが判明した」と説明しているが「具体的な内容は極秘」として詳細を明らかにしていない(IBA声明)。

また、IBAのウマル・クレムレフ会長は世界選手権当時、「DNAテストの結果、XY染色体を持っていることが判明した」と語っている(タス通信)。しかし、ここでもテストの詳細についての説明はない。

IBA会見でも根拠を示さず

IBAはパリ五輪での論争を受けて8月5日に記者会見を開いた。しかし、その場でも世界選手権の失格の根拠となったテストの詳細は明らかにしていない。

IBAのクリス・ロバーツ事務局長は2回の血液検査の結果、「2人のボクサーを不適格にした」と説明したが、結果そのものについては「非公開であり、医学的な自信もないため公開する立場にない」と述べた。

また、クレムレフ会長は通訳を介して「テストステロンが高かった」とも語った。これはIBA声明の中にあった「テストステロン検査を受けたのではない」という説明と矛盾しており、会見でも疑問の声が上がったが明確な回答はなかった。

プライバシーを配慮すべきテスト結果とはいえ、どのようなテストがどのように実施されたのかもはっきりしない会見で終わった。

女性選手の参加資格をめぐるこれまでの議論

女性選手の出場資格をめぐる論争では、2012年・2016年の陸上女子800m五輪チャンピオンのキャスタ・セメンヤ選手の例がある。

セメンヤ選手は性分化疾患(DSD)によって男性ホルモンのテストステロンの値が非常に高く、競技に出場するためには数値を下げる薬を飲む必要があるというスポーツ仲裁裁判所による判決が出た(IOC)。

トランスジェンダーの選手に関しては、IOCは2015年にガイドラインを策定した。男性ホルモンのテストステロン値が12ヶ月間一定基準以下なら、女性選手として出場可能とするものだ。

2021年の東京五輪では、トランスジェンダーとして史上初めてニュージーランド代表ローレル・ハバード選手が女子重量挙げに出場し、記録なしに終わっている。

IOCの現在の立場

男性選手としての競技歴もあったハバード選手の出場は議論を呼び、IOCは2021年11月、10の原則からなる「公平で、包摂的、そして性自認や性の多様性に基づく差別のないIOCの枠組み」を採択している。

原則は「包摂」「被害の防止」「差別のないこと」「公平性」などとともに「証拠に基づいたアプローチ」を求めている。

IBAは2019年にIOCから財政・運営・倫理などの問題を指摘され、資格停止処分を受けている。2023年には改革が不十分だとして統括団体としての地位を剥奪された。

IOCは世界選手権でIBAが両選手を失格にしたのは「IBAによる突然の恣意的な決定の犠牲」(IOC声明)と批判している。

古田大輔・JFC編集長の視点

競技参加のためにはテストステロンを下げる薬を飲むようにとの判決が出たセメンヤ選手、トランスジェンダーとして初の五輪出場を果たしたハバード選手のように、これまでも女性選手の参加資格をめぐる議論はあった。全てが無条件で認められてきたわけではない。

その上で、今回のヘリフ選手と林選手に関する議論でまず考えるべきは、誤情報や不確かな情報に基づく意見が広がったことだ。

ヘリフ選手はトランスジェンダーではなく、女性選手として長い競技歴があった。また、参加資格をめぐる議論の出発点となった世界選手権でのテストについてIBAは詳細を全く説明していない。会見も混沌として記者からの質問にほとんど答えておらず、説得力を欠いていた。

それにも関わらず「トランスジェンダー」「染色体がXY」「睾丸がある」「テストステロンが高い」などの情報が飛び交い、それらの誤情報や不確かな情報に基づく「議論」が交わされた。

意見はそれぞれの自由だが、間違った情報を元に議論しても、その内容は信頼性にかける。また、性に関する情報はプライバシーにも配慮しなければならない。

女性選手としての参加資格に関して、IOCの枠組みが原則とする「公平性」つまり「不公平で不均衡な競技上の優位性を有していないという確証を提供すること」や「 他のアスリートの身体的な安全に対する危険を防止すること」は重要だ。

枠組みが定める「プライバシーの権利」「証拠に基づいたアプローチ」を前提にしつつ考える必要がある。

そして、ファクトチェックもそのためにある。


判定基準などはJFCファクトチェック指針をご参照ください。

毎週、ファクトチェック情報をまとめて届けるニュースレター登録(無料)は、上のボタンから。また、QRコード(またはこのリンク)からLINEでJFCをフォローし、気になる情報を質問すると、AIが関連性の高いJFC記事をお届けします。詳しくはこちら

もっと見る

ヒカキン氏「サリンは撒かれてよかったと思う」と発言? 捏造した画像【ファクトチェック】

ヒカキン氏「サリンは撒かれてよかったと思う」と発言? 捏造した画像【ファクトチェック】

YouTuberのヒカキン氏が「サリンは撒かれてよかったと思う」と発言したという情報が拡散しましたが、誤りです。ヒカキン氏は過去にそのような投稿をしていません。投稿したアカウントは過去にもヒカキン氏の誤情報を拡散しています。 検証対象 2025年4月22日、「麻原大好きなHIKAKINマジでエグい」という文言と共に、ヒカキン氏のXアカウントが「サリンは撒かれて良かったと思う 今の政治は日本の魚介ぐらい終わってるからな みんなも今は亡き真の聖人麻原様に敬意を払おう」と発言しているかのような画像付き投稿が拡散した。 2025年4月24日現在、この投稿は1000件以上リポストされ、表示回数は615万回を超える。投稿について「ヒカキンさんを見る目が変わったわ」「これガチならエグすぎる」というコメントの一方で「HIKAKINの名を使ってこの記事はやり過ぎ」という指摘もある。 検証過程 投稿主は過去にも誤情報を拡散 今回拡散した投稿を発信した「麻原彰晃名言bot」は、オウム真理教の元代表麻原彰晃(本名・松本智津夫)元死刑囚の名言を紹介するbotを名乗っている。

By 日本ファクトチェックセンター(JFC)
日本は車の安全試験でボンネットにボウリング球を落とす?  過去に否定された誤情報【ファクトチェック】

日本は車の安全試験でボンネットにボウリング球を落とす? 過去に否定された誤情報【ファクトチェック】

アメリカのトランプ大統領が各国との関税交渉に関連して、非関税障壁の一例として日本ではボウリング球を車に落とす安全試験があると主張しましたが、誤りです。過去にも検証された誤情報です。 検証対象 4月20日、トランプ氏は自らが設立したソーシャルメディアTruth Socialで各国の非関税障壁の例を8つ記して投稿した。6番目に「Protective Technical Standards(保護技術基準)」として「Japan’s bowling ball test(日本のボウリング球テスト)」を挙げている。 検証過程 トランプ氏は、大統領1期目の2018年に同様の発言をしていた。ワシントンポストの当時の記事によると、日本では車体の耐久性を確認するために「ボーリング球テスト」があり、「車のボンネットに20フィート(約6メートル)の高さからボウリング球を落としてへこんだら不合格になる」と演説したという。 ボウリングボールを落とすテストはない 国土交通省によると、日本の自動車の製造・販売業者は、国が定める安全や環境の基準について、43項目の審査に合格したうえで

By 宮本聖二
大阪万博のリング、木材の大半は海外産? 7割が国産【ファクトチェック】

大阪万博のリング、木材の大半は海外産? 7割が国産【ファクトチェック】

前名古屋市長の河村たかし衆院議員が「万博の目玉リング、木の大半は海外産」と投稿しましたが、誤りです。同様の情報はこれまでにも拡散し、設計者自らが否定。公式サイトにも「国産7割、外国産3割」と記されています。 検証対象 2025年4月21日、前名古屋市長の河村たかし氏の「万博の目玉リング、木の大半は海外産だそうで、名古屋城は違います!」という投稿が拡散した。 投稿には河村氏自身のYouTubeアカウントに投稿された動画が添付されている。2025年4月23日現在、動画の視聴回数は6000回超。投稿は1500件以上リポストされ、表示回数は110万件を超える。 検証過程 動画の中で河村氏は、名古屋城の復元について解説。万博の名物となっているリング状の建造物について「全部国産材の名古屋城の木材と全然違いますね」などと発言している。 日本ファクトチェックセンター(JFC)が、大阪・関西万博公式Webサイトを確認したところ、大屋根リングについて「使用木材:(国産)スギ、ヒノキ(外国産)オウシュウアカマツ ※国産が約7割、外国産が約3割」という記載がある。 リング

By 日本ファクトチェックセンター(JFC)
新型コロナのレプリコンワクチンは死亡率がファイザー製の75倍? 元資料の誤読【ファクトチェック】

新型コロナのレプリコンワクチンは死亡率がファイザー製の75倍? 元資料の誤読【ファクトチェック】

新型コロナのワクチンについて、レプリコンはファイザー製に比べて死亡率が75倍だという情報が拡散しましたが、誤りです。厚労省の資料をもとに主張していますが、これは副反応疑いの件数で因果関係が立証されたものではなく、また、死亡報告2件は、のちに製造元が「ワクチンとの因果関係を医師が否定した」という理由で報告を取り下げています。 検証対象 2025年4月17日、「レプリコンはファイザー製の75倍の死亡率」という投稿が拡散した。投稿には表も添付され、製薬会社ごとに接種者の「重篤」と「死亡」の報告数の比率を比べている。 4月21日現在、8万2000を超える閲覧と1200のリポストがついている。「こんなもん国民に打たせるな」「ワクチンじゃない、殺人兵器だ!!」などの他「真面目に副作用報告を収集しているから副作用発現率が高く見えてる可能性がありますね」という指摘もある。 検証過程 レプリコンワクチンとは レプリコンワクチンは、日本の製薬企業Meiji Seikaファルマが開発製造しているmRNAワクチン。mRNAが体内で複製されて増えるため、従来のmRNAワクチ

By 宮本聖二

ファクトチェック講座

JFCファクトチェック講師養成講座 申込はこちら

JFCファクトチェック講師養成講座 申込はこちら

日本ファクトチェックセンター(JFC)は、ファクトチェックやメディア情報リテラシーに関する講師養成講座を月に1度開催しています。講座はオンラインで90分間。修了者には認定バッジと教室や職場などで利用可能な教材を提供します。 次回の開講は5月28日(日)午後2時~3時半で、お申し込みはこちら。 https://jfcyousei0518.peatix.com/view 受講条件はファクトチェッカー認定試験に合格していること。講師養成講座は1回の受講で修了となります。 受講生には教材を提供 デマや不確かな情報が蔓延する中で、自衛策が求められています。「気をつけて」というだけでは、対策になりません。最初から騙されたい人はいません。誰だって気をつけているのに、誤った情報を信じてしまうところに問題があります。 JFCが国際大学グロコムと協力して実施した「2万人調査」では実に51.5%の人が誤った情報を「正しい」と答えました。一般に思われているよりも、人は騙されやすいという事実は、様々な調査で裏打ちされています。 JFCではこれらの調査をもとに、具体的にどのよう

By 古田大輔(Daisuke Furuta)
理論から実践まで学べるJFCファクトチェック講座 20本の動画と記事を一挙紹介

理論から実践まで学べるJFCファクトチェック講座 20本の動画と記事を一挙紹介

日本ファクトチェックセンター(JFC)は、YouTubeで学ぶ「JFCファクトチェック講座」を公開しました。誰でも無料で視聴可能で、広がる偽・誤情報に対して自分で実践できるファクトチェックやメディアリテラシーの知識を学ぶことができます。 理論編と実践編の中身 理論編では、偽・誤情報の日本での影響を調べた2万人調査の紹介や、間違った情報を信じてしまう背景にある人間のバイアス、大規模に拡散するSNSアルゴリズムなどを解説しています。 実践編では、画像や動画や生成AIなど、偽・誤情報をどのように検証したら良いかをJFCが検証してきた事例から具体的に学びます。 JFCファクトチェッカー認定試験を開始 2024年7月29日から、これらの内容について習熟度を確認するJFCファクトチェッカー認定試験を開始します。誰でもいつでも受験可能です(2024年度中は受験料1000円、2025年度から2000円)。 合格者には様々な技能をデジタル証明するオープンバッジ・ネットワークを活用して、JFCファクトチェッカーの認定証を発行します。 JFCファクトチェッカー認定試験

By 古田大輔(Daisuke Furuta)
JFCファクトチェッカー認定試験  教材と申し込みはこちら

JFCファクトチェッカー認定試験  教材と申し込みはこちら

日本ファクトチェックセンター(JFC)はJFCファクトチェッカー認定試験を開始します。YouTubeで公開しているファクトチェック講座から出題し、合格者に認定証を授与します。 拡散する偽・誤情報から身を守るために 偽・誤情報の拡散は増える一方で、皆さんが日常的に使用しているSNSや動画プラットフォームに蔓延しています。偽広告や偽サイトへのリンクなどによる詐欺被害も広がっています。 JFCが国際大学グロコムと実施した2万人を対象とする調査では、実際に拡散した偽・誤情報を51.5%の割合で「正しいと思う」と答え、「誤っている」と気づけたのは14.5%でした。 自分が目にする情報に大量に間違っているものがある。そして、誰もが持つバイアスによって、それが自分の感覚に近ければ「正しい」と受け取る傾向がある。インターネットはその傾向を増幅する。 だからこそ、ファクトチェックやメディアリテラシーに関する知識が誰にとっても必須です。 JFCファクトチェック講座と認定試験 JFCファクトチェック講座(YouTube, 記事)は、2万人調査を元に偽・誤情報の拡散経路や

By 日本ファクトチェックセンター(JFC)